國立故宮博物院 National Palace Museum (New window) 主な図像_失われた領域─清季西北部国境線条約の変遷と地図特別展
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タイトル:展示作品概説
国境とは、二国間の紛争が発生しやすい国際問題の一つです。中国とロシアの間には世界で最も長い国境線があり、300年以上に渡って衝突が繰り返されてきました。国立故宮博物院が外交部より委託保管されている清総理各国事務文書と北洋政府外務部資料である輿図(地図)には、清代に中国・ロシア両国が締結した条約及び東北部、北部、西北部などの輿図が数多く含まれています。これらの条約と輿図は国境地域での紛争に関わりがある上、争議を招きやすい敏感な事柄でもあり、外交部は常に「機密」と注記して一切公開しませんでした。しかし、民国90年(2001)、外交部は所蔵する歴史的な公文書を本院に寄託してデジタル化を進めることとし、初めて状況に変化が訪れました。そして民国96年(2007)、「極秘」とされてきた資料の機密解除と一般読者への公開、展覧会の開催など、本院はついに外交部の同意を得たのです。これがこの度の展覧会開催が可能になった理由です。

中国西北部に位置する新疆(現在の新疆ウイグル自治区)は、古くからシルクロードの要所として知られ、東西文明が交わるこの地で様々な民族が出会い、その文化が融合しました。「新疆」という地名は清朝高宗乾隆帝(1735-1796)によって命名され、清国の版図に加えられる以前は複数の遊牧部落に分かれていました。例えば、カザフ(哈薩克/ Khazakhs)、ジュンガル(準噶爾/ Dzungars)、コーカンド(浩罕/Kokand)等です。乾隆帝によるジュンガル平定後、アルタイ山脈(阿爾泰山脈/Altai Mountains)以北のタンヌ・ウリャンハイ(唐努烏梁海/Tannu Uriankhai)の三民族が前後して清朝に帰順し、清朝は、アヤグス川(阿雅古斯河/Ayaguz R.)以東、バルハシ湖(巴爾喀什湖/Lake Balkash)東南地域、テムールト=ノア(特穆爾図淖爾/Temurtu-nor)(現在のイシククル湖 [伊斯色克湖] /Lake Issyk-kul)、ナリン川(那林河/Narin R.)流域等も清国の領土に加えました。道光年間 (1821-1851) 以降、勢力の衰えた清国は新疆の領土を維持できなくなり、ロシアがこの機に乗じて東進しました。咸豊10年(1860)に「中露北京条約」が締結されると、ロシアは国境線画定の実地調査などを通して、清朝に占領地域の承認を求めました。

同治年間(1862-1875)、清朝とロシアは「カシュガル界約(中露勘分西北界約記)」(「塔城界約」とも称す)及び三つの国境線画定付加条約を締結し、光緒年間(1875-1909)にも「中露交收伊犁条約」、「中露改訂条約」及び五つの国境線画定に関する付加条約を結びました。これらの条約締結を経て、清朝西北領土はシャービン=ダバハ(沙賓達巴哈/Shabing Dabakha)(ダバハとは「峠」を意味する)からパミール高原へと東に向かって後退しました。統計によれば、同治、光緒年間に失われた西北地域の領土は50万km²にも及びました。

この度の特別展では、「国境線の変遷」、「国境碑─北部境界線・中部境界線・南部境界線」、「概括」の三部に分け、外交部秘蔵の清朝の密約と地図のほか、それらに関係する本院所蔵の清代西北部国境線問題の交渉官による奏摺や地図なども合わせて展示されます。