慈悲與智慧-宗教雕塑藝術 Benevolence and Wisdom: Buddhist Sculptural Arts
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慈悲與智慧-宗教雕塑藝術 Benevolence and Wisdom: Buddhist Sculptural Arts
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北朝の仏教造像芸術
北魏 太和元年銘 青銅鎏金釈迦牟尼仏坐像(open new window)
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北魏 太和元年銘 
青銅鎏金釈迦牟尼仏坐像

北朝の皇帝は仏を好み、仏教を国家統治の手段にするとともに、寺院の造営や仏像製作などの宗教活動に積極的に取り組みました。帝室の影響の下、貴族や豪族、一般の人々もまた競うようにして寺院を建造して功徳を積み、仏教美術はしだいにその時代の精華ともいえる芸術様式となっていったのです。

北朝仏教は、法華経、維摩詰経、涅槃経を中心としており、仏像の多くが釈迦、彌勒菩薩、観音菩薩でした。その風格は北魏初期の雄壮さ、中期の清秀な趣への流れ、晩期の複雑緻密さから、東魏北斎の沈静な趣へと変化し、当時の工芸技術の水準を反映しているのみならず、宗教の雰囲気も今に伝えています。

 
隋・唐代の仏教造像芸術
盛唐 青銅鎏金仏坐像(open new window)
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盛唐 青銅鎏金仏坐像

隋・唐代の帝王のほとんどが仏教を支持し、国力が大きく高まるにつれて天竺との往来も頻繁になりました。唐の僧侶は仏法を求めて西方へ向かい、天竺の僧侶は大量の仏教経典を携えて東方を訪れ、仏教に新たな生命を吹き込みました。また、多数の高僧が輩出したことから、仏教界は真に中国にふさわしい宗教について絶えず思索を重ね、それらが各大宗派へと発展し中国固有の思想とあいまって、仏教が徹底的に中国化されていったのです。

隋・唐代における仏教の隆盛は、仏教美術をその極みにまで高めました。インドから伝わった造像の手本図は、造像の題材をより豊かなものにし、天竺で重視された立体感と審美趣味が、中国の仏像特有の流れるような線の中に巧みに取り入れられ、写実的な精神の主導の下、ふくよかで丸みのある人体や細緻な衣服や装飾品の描写、柔らかで自在な動態が表現され、芸術様式として確立されると同時に、作品の内面的な性格をも伝え、荘厳な神性が人間的な性質の内におだやかに溶け込んでいます。

 
宋・遼代、雲南大理国の仏教造像芸術
雲南大理国 青銅鎏金観音菩薩立像(open new window)
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雲南大理国 青銅鎏金観音菩薩立像

五代以来、士大夫階級が勢力を強めて貴族に取って代わり、宗教と文化を推進する主力となりました。仏教故事は民間で語られる「話本(講談本)」となり、寺院の「俗講(唐代の説唱文学)」の内容にも歴史故事が加わりました。仏教は庶民の生活にすっかり溶け込み、仏教の中国化が更に徹底されたのです。そのため、宋代の仏像の風格はしだいに庶民的なものとなり、絵画が美術の主流となったことから、彫刻作品の中にも絵画的な意趣が表現されるようになりました。

遼代の王室には仏教徒が多く、貴族間そして民間でも刻経、念仏、寺院の建立や造像などの仏事が盛んに行われました。遼代初期の造像は唐代の気風の名残を受け継ぎ、 11 世紀には独自の風格が生み出され、厳かで端正な面持ちに含みのある笑み、真っ直ぐに伸びた上半身と逞しい筋肉など、契丹民族特有の雄々しく力強い風格が表現されています。

大理国の帝室は仏を崇め、 22 名の国王のうち 9 名が出家しました。試験により人材を集めて僧徒とし、僧徒を官吏にとりたてました。上が行えば下もそれに倣う─帝室の影響から、仏法が大きく栄えたのです。密教を主とした仏教宗派は中原内地の影響が大きく、道教の神々やその土地の神をも吸収し、極めて幅広く複雑、浅俗なものでした。観音信仰がとりわけ盛んだったため、大量の観音図像があります。近隣の東南アジアとの往来も頻繁になって造像の風格が様々に変化し、地方色豊かな宗教美術が形成されました。

 
明・清代の仏教造像芸術
明 青銅鎏金観音菩薩半跏像(open new window)
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明 青銅鎏金観音菩薩半跏像

明・清代になると、社会や経済の発展にともない、仏教の布教も皇室や貴族の扶助を必要としなくなり、仏教徒は経典の校刻と普及に力を注いで仏教思想を世に広めました。明・清代は、教義と理論において大きな変化や刷新はありませんでしたが、基本的な教義は早くから法会などの活動を通して深く民心に根を下ろし、仏教は中国文化にとって不可欠な要素の一つとなったのです。

明・清代に製作された仏像の多くが、延命、子宝、財運、招福などの現実的な利益を願ったものであったため、ほとんどが世俗的な色彩が濃厚な各種の観音菩薩や地蔵菩薩、おおらかな弥勒菩薩などを崇めました。造像の風格はしだいに規律化して姿態の硬さが目立ち、身にまとった装飾に重きが置かれるようになり、造型と表情は世俗の人々と異なる部分がなく、宗教作品の特徴である神聖さに欠けています。明・清代の宮廷では、チベット様式の仏像も製作しました。チベットの製作様式や方法、寸法の測り方などに従ったものでしたが、精緻で細やかな彫刻や複雑な装飾は、作品の内に満ちる緊張感や張りがおろそかにされがちで、表面的な装飾にこだわった庶民的な色彩がかなり濃厚な作となっています。

 
チベット仏教芸術
チベット 15至16世紀 青銅鎏金釈迦牟尼仏坐像(open new window)
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チベット 15至16世紀
青銅鎏金釈迦牟尼仏坐像

7 世紀、チベットは仏教に触れ始め、 8 世紀になるとインドの金剛乗が優勢となりました。チベットの各宗派はまず顕教、次に密教となり、密教を至高にして最終的な段階としました。晩期になると、無上瑜伽坦特羅部経典が大量に翻訳され、完成度が最も高く、梵語の原典に最も忠実な金剛乗体系が確立されたのです。

チベット仏教の修行においてとりわけ重視される怛特羅密法(タントラ)は、造像の題材─双身像や憤怒像にその特徴が表れています。風格は、カシミール( 14 世紀以前)、 8 ~ 12 世紀にかけての東インドのパーラの風格、ネパール美術、ホータン、敦煌などの影響を受け、 15 世紀以降、新たに中国の風格が加わりました。全体的にみると、 14 ~ 18 世紀は工匠が単独で作業を担当し、経典の翻訳も完成したため、教理も見事に整い発展して教義も完成し、チベットの特色が最も鮮明となった時代でした。

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