隋・唐代の帝王のほとんどが仏教を支持し、国力が大きく高まるにつれて天竺との往来も頻繁になりました。唐の僧侶は仏法を求めて西方へ向かい、天竺の僧侶は大量の仏教経典を携えて東方を訪れ、仏教に新たな生命を吹き込みました。また、多数の高僧が輩出したことから、仏教界は真に中国にふさわしい宗教について絶えず思索を重ね、それらが各大宗派へと発展し中国固有の思想とあいまって、仏教が徹底的に中国化されていったのです。
隋・唐代における仏教の隆盛は、仏教美術をその極みにまで高めました。インドから伝わった造像の手本図は、造像の題材をより豊かなものにし、天竺で重視された立体感と審美趣味が、中国の仏像特有の流れるような線の中に巧みに取り入れられ、写実的な精神の主導の下、ふくよかで丸みのある人体や細緻な衣服や装飾品の描写、柔らかで自在な動態が表現され、芸術様式として確立されると同時に、作品の内面的な性格をも伝え、荘厳な神性が人間的な性質の内におだやかに溶け込んでいます。 |