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新石器時代─五代

6000 B.C.E–960 C.E

 新石器時代の晩期になると、各地で数多くの陶器が製作されるようになり、原始社会の活発且つ旺盛な生命力を象徴しています。例えば、黄河上流の仰韶文化に見られる彩陶は、赤、黒、白の鮮やかなコントラストの幾何学模様が特徴的です。また、黄河下流の龍山文化の黒陶は、輝きのある黒と卵の殻のように薄い素地で知られています。同じく黄河下流の大汶口文化では、白い陶器皿が発展しました。これらの陶器はそれぞれの特徴を備え、胎土の選別や焼成技術などの進歩と多様な美感を反映しています。

 陶器は「死に事(つか)うること生に事うるが如し」という中国の葬儀文化の中でも重要な役割を果たしており、副葬される土偶や明器の多くも陶土で作られました。例えば楽器、従僕、文官、護衛、または鶏や犬などの動物、建物や邸宅などに、古代社会の情景や当時の審美感をうかがうことができます。陶器の表面には低温釉彩が施されたものが多く、例えば漢代は質朴で落ち着きのある緑釉や褐色釉が好まれ、唐代に至ると黄、緑、褐色の三色の釉薬を同時に施し、後に「唐三彩」と呼ばれる陶器が発展しました。

 釉薬が施され、高温で焼成された硬陶は、早くも殷代のころから製作され、春秋晩期には浙江地域で釉色が均一でつややかな青磁礼楽器が発展しました。しかし、磁器が大量に焼造されるようになったのは三国、両晋時代のころからです。国の匠たちが製作に携わり、焼造された作品は高官や雅士に愛されました。「磁」と言う字が詩句の中に登場するようになったのもこのころからでした。

 隋、唐以降は陶磁器の製作技術が普及し、磁器は貴賤の別のない一般的な器物となりました。窯場は各地に分布し、中でも南方越窯の青磁と北方邢窯の白磁が最も人気を博し、定窯や長沙窯で焼成された磁器も、隣国に大量に輸出されたほか、遠くエジプトやチグリス・ユーフラテス川の流域にも伝えられました。

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  • 唐 三彩馬球仕女俑

  • 唐 灰陶加彩仕女俑

  • 唐 邢窯 白瓷穿帯壷

  • 五代 越窯 秘色青瓷洗

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