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清代

1644–1911

 清代の官窯は皇室が主導権を握り、官窯制度と職人の待遇が改善されたため、焼造された陶磁器は常に最高の質と量を維持することができました。盛世期の康熙、、雍正、乾隆の三朝では、皇帝自らによる指揮と督陶官の監督の下で、技術、釉彩、造形、装飾文様のいずれも時の最高を極めた官窯作品が製作され、その気勢はとどまるところを知りませんでした。このころの作品には、漢文化における倣古と革新を取り入れようとした満州王朝の努力と、当時の東西の異なる趣を融合した装飾風格をうかがうことができます。

 乾隆晩期になると、御用窯の監督や管理は地方官に委ねられ、官様の風格が徐々に薄れはじめる一方で、民間の大衆化した趣を増していきました。嘉慶、道光年間は、盛世期の風格を継承してはいましたが、数量、様式ともに盛世期の生き生きとした創造性には及びませんでした。咸豊以降は内乱が続発し、景徳鎮の御用窯も破壊され、窯業者は四散しました。同治年間の太平天国の乱の後、陶磁器産業は再び活力を取り戻し、当時政権を握っていた西太后が、個人用の磁器の焼造に力を入れ、色遣いも鮮やかで極めて華麗な作品が作られました。光緒年間後期になると、民窯も盛んになり、いわゆる「官窯」は宣統帝の退位と清朝の滅亡とともにその幕を閉じました。

 本コーナーでは、清代の時系列に基づいて作品を展示しています。宮中御用の磁器の様式が時間の移り変わりとともに変化し、盛世期の官窯の作風から民間の大衆的な趣へと変化していく過程をご鑑賞いただけます。

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  • 清 康熙 紅釉尊

  • 清 雍正 琺瑯彩青山水壷

  • 清 乾隆 霽青描金游魚転心瓶

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