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玉の巧

 明の時代は歴史上で最も複雑な時代であると言われています。一方では極端な保守的な極権政治、一方では商品経済の萌芽により、余裕が出てきた社会階級が、文化芸術に反映して大きな変化をきたし、はなはだしくは矛盾が対立する風格が並存し、玉器文化は人文と世俗化の新たな姿に発展しました。「技は道に近づける」の観念の下、職人は文人の助けの下に、現在で言われる「自社ブランド」を樹立し、未曾有の注目を浴びました。

 中国玉器の発展は清に至り、第一に高宗乾隆帝が玉をこよなく愛したこと、次いで二十五年(1760年)回疆(東トルキスタン)を征服後、ホータンの美玉を大量、安定的に中原に輸入されたこと、第三に主客観念による円満な協力があったこと。この3点により、玉器の製作は遂に空前の繁栄をもたらしました。丁度この頃、市場には当世風で王の好みに相反する情況が発生し、雅びと俗っぽさ、復古と新流行が衝突し、その結果、時代の風格はむしろ、より豊富より趣のある姿を呈することになりました。

 玉器工芸は乾隆帝時期、最高峰に上り詰めた後は徐々に落ち着きの中に変化を生み出して行きました。最大の転換点は中国七千年来の玉質に対する見かたに変化が現れたことです。翡翠は四方にその輝きを以て、閃玉(軟玉、ネフライト)の内に秘める美と異なることから、閃玉に取ってかわり、近、現代人に愛されるようになりました。

 「玉の巧」の単元は4つのテーマに分かれます。まず、「粗大明」の観念を検討し、更に明代玉雕の風格の多様性を理解し、次いで、展示されている作品は「御製」「御用」の款や「御製詩」などの玉器がありますが、作品自身に清朝皇室御用達の玉の盛んな気勢と玉を愛して止まなかった清の高宗と当時の玉器の風格が出来上がっていく関係を観察し、最後に我々に最も近い近現代の清朝版期~民國初年までの玉器から、現在の一般大衆が好む玉器のタイプと特色を理解して頂きます。

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良材都に集まり、匠は蘇州を推す

  • 明中・晩期 玉「寿」の字花卉紋執壷

    • 高さ15cm 幅15.8cm
  • 明晩期 「子剛」の款入り螭紋玉かんざし

    • 長さ12.6cm 高1.2cm
  • 子剛款

皇室の風采と才華

  • 清 乾隆 玉盃・盤

    • 盃:高さ6.5cm 口径7.4.cm
    • 受け皿:高さ2.4cm 長さ17.6cm 幅12.6cm

復古と流行

  • 清中期 玉雲龍仙鶴觚形瓶

    • 高さ15.7cm
  • 清 乾隆 青玉仙山楼閣山子

    • 高さ16.4cm 幅21.7cm

新風格の樹立

  • 清中・晩期 玉嵌宝石福寿如意

    • 高さ5.1cm 長さ40.2cm 幅12.1cm
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