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楽しいお宝探し(約80分)

  • 参観所要時間:約80分
  • 当参観に最適な年代:児童、親子、家族
  • 動線企画説明:故宮博物院で人気の高い動画を中心に、親子、家族、先生、生徒の皆さんに。参観を通じて文物に隠された真実の姿をご覧いただき、また故宮の豊富なデジタル資源を活用して、関連する知識を習得していただきます。一緒に故宮のお宝探しを楽しんでみませんか。
  • 探索に出発する前にご鑑賞ください:国宝総動員国宝星遊記小故宮幻想曲

|展示作業に応じて、展示室や展示品が変わることがあります。ご参観当日の情報を基にしてください。 3F動線圖

清 翠玉白菜
01 清 翠玉白菜

3F|展示室 302|南北故宮 国宝薈萃

この作品は100%と言っていいほど、本物の白菜に似ていますが、実は翡翠を彫刻したものなのです。馴染みのある題材で、真っ白な白菜の上方には青緑の葉・・・親近感を覚えます。葉の上に二匹の昆虫が止まっているのも見忘れないでくださいね!これらの昆虫は子孫繁栄を意味しています。この作品は元々紫禁城の永和宮に置かれていました。永和宮は光緒帝の后妃、「瑾妃」の寝宮であった為、純潔無垢であると同時に、子孫繁栄を象徴する后妃の嫁入り道具の一つであったのでは!と推測されています。この翡翠の材質や白菜の造型は、清朝の中・晩期から流行し始めたものですが、こうした題材は元末明初の頃から、すでに職業画家の手により描かれており、吉祥の題材として人気がありました。この他、唐代の詩人「杜甫」もこの葉菜類の野菜を用い、政治の環境が劣悪で、自らが才能を持ちながら不遇であったことを比喩しています。また文人画の伝統的な描写に絵画のテーマとして葉菜類の野菜が引用されており、「杜甫」と同様の心情を表現し、暗に為政者の無能を戒めています。 
乾隆四十年(1775年)、乾隆帝の御製詩<題和闐玉鏤霜松花插>の中で、白菜の形をした花瓶から、「庭役人は野菜の良さを知らないという例えは、芸の戒めの伝統だ」としている杜甫の詩を連想し、警戒心を持ち、詩に:「ホータン産の玉は沢山入ってきており、呉の匠は良い器を製作している。骨董を模しても斬新さが出ている。気風を更に増すにはどうしたら良いのか。野菜の葉は根から切り離され、花瓶の中は空っぽで花瓶の縁は外側に開いている。生け花に似合うのは花野菜だ。緋桃(花が濃紅色の桃)や雪梨(中国梨の一種)は恥ずかしがり屋で婀娜っぽい。民にこの色は無いが、おいしいと云う。芸の戒めか、それとも私をそっと諭しているのか」と。しかし、乾隆帝は、宮廷に於ける工匠、或いは「翠玉白菜」を製作した玉匠のいずれも、主の好みに応じて創作したものであることを信ずると言っていますが、どの作品かは記載されておらず、参観者の皆様に、更に多くの創造空間を与えています。

清 肉形石
02 清 肉形石

3F|展示室 302|南北故宮 国宝薈萃

玉に似た美しい石の中で、石英類のメノウや碧玉等も特殊で、多様な筋状模様と色彩を有しているため、巧みな彫刻が施されています。「肉形石」は碧石の類の天然石で、筋状模様が一層一層積み重なっており、職人は、この天然の特徴を活かして再度加工を加えています。まず、表面に細かな点々を彫り、毛穴を表している他、素地を緩くして染色しやすくしています。次いで表面を褐紅色に染めており、肉の皮は、まるで醬油漬けにしたようです。

漢 銅熊尊
03 漢 銅熊尊、清 乾隆 玉熊尊

3F|展示室 302|南北故宮 国宝薈萃

* 暫時未出展

「玉熊尊」は清の乾隆帝の時代である乾隆25年(1760)、『西清古鑑』に収録されている「唐飛熊表座」を模して作られました。原作は銅製の熊で、体毛は金糸、銀糸で表現され、額や両目などさまざまな場所に宝石がはめ込まれています。ラインはシンプルですが装飾は華麗なことから、漢代に作られた器物の足が使われたと考えられます。一方、新作の玉熊はサイズ、造形とも原作の模倣の域を出ていませんが、造形は重厚で、温かくてしっとりとした質感があります。この作品から、乾隆年間に仿古玉器の品質や要素が求められたことがうかがえます。

清 乾隆 玉熊尊
04 清 玉人と熊

3F|展示室 302|南北故宮 国宝薈萃

* 暫時未展示

玉石の持つ天然の黒色と白色を利用した作品です。長いラインを利用して白い人間の雄渾な体形を彫刻し、短いラインで黒い熊の全身を覆う体毛を陰刻しています。職人は工夫を凝らして、人間と熊が力比べする瞬間の様子をみごとに表現しました。その瞬間とは、肉弾相打つ緊迫感に満ちたものではありません。人も熊も笑い合い、手に手を取って軽やかに踊っているようです。  この玉彫刻は、ほかの小さな骨董品とは異なり、清の康熙帝が文物を整理、収納した「百什件」に含まれていることから、「百什件」にはこうした精巧でユニークな作品が数多く収納されていたことがうかがえます。

東漢(後漢) 玉辟邪
05 東漢(後漢) 玉辟邪

3F|展示室 306|敬天格物―院蔵玉器精華展

この玉製の辟邪は頭をもたげて、壮大な気宇を表しています。漢代に作られた翼を持つ神獣(神秘的な力を備えた霊獣)の代表作です。四肢のある猛獣が長い翼を持つというイメージは,西アジアで発祥したと考えられています。中国語の「如虎添翼」(虎に翼を付けたようだ=もともと強い者がいっそう強くなる、鬼に金棒)という言葉は、無限の神的な性質、能力を表します。この伝統は漢代まで継承され、翼を持つ神獣は天上の神の世界の象徴とされました。漢代の芸術は躍動感、緊迫感を表現することが重視されました。この辟邪はひっそりとたたずんでいますが、今にも跳躍しそうな雰囲気が感じられます。四肢は力強く、大きなスペースを占め、丸みを帯びて筋の浮き出た表面は強靭な筋肉を表しています。体全体で直角三角形に似た構図になっています。体躯は曲線、弧面で力強さを示し、勇猛そうな口を開けて咆哮する姿は、群雄を睥睨する威勢を生み出しています。この玉辟邪は清朝の乾隆皇帝から非常に好まれました。乾隆は特別に台座を製作させるとともに、辟邪の胸、台座の内側に詩句を篆刻させました。色はもともと青みがかった白色でしたが、古物を愛好する気風の下、愛好家によって頭、首、胸などが染色されて赤褐色になりました。これによって、古風な味わいがいっそう引き立っています。

宋~元 玉鴨
06 宋~元 玉鴨

3F|展示室 306|敬天格物―院蔵玉器精華展

黄色の閃玉によるカモの彫刻です。頭、腹、足は深い褐色を呈しています。北宋のころからカモを題材にした玉器の製作が徐々に増えていきました。これは絵画の発展と一致します。宋の絵画は写生を重視しました。「生」の意義は製作する対象を十分に観察、研究し、画家と対象とが一つになることで、画面に対象の持つ生命と天意が自然に表れるというもので、これは単に似せるというものではありませんでした。また、この玉鴨は時代の風格を示しています。彫刻の手法は極めてシンプルですが、尾を上げて大きな臀部が見える体の特徴をリアルに表し、作品に可愛らしさと躍動感を持たせ、大自然の長閑な趣を感じさせます。
玉器には常に色の変化が起こります。巧妙に変化した場合、作品に躍動感をもたらします。玉の色が天然のものか人為的なものかは、人々の関心の的となりました。この玉鴨に表れた褐色の部分には、表面に凹凸があり、粗削りであることが分かります。へこんだ部分は光沢が薄いのに対し、出っ張っている部分は光沢がはっきりしています。色彩の濃度は嘴から頭にかけて、また足の先から後ろに向かって徐々に淡くなっています。後頭部に色が落ちている部分があります。このことから、玉の色の変化は人為的な染色が行われたためであることがうかがえます。

商晚期 蟠紋龍盤
07 商晚期 蟠紋龍盤

3F|展示室 305|古代青銅器の輝き―院蔵銅器精華展

盤面に一匹の龍がとぐろを巻いています。龍の頭は盤の中心に位置し、かすかに盛り上がっています。盤の縁には夔紋(きもん)、鳥紋、魚紋が取り巻くように施されています。外壁の装飾は錆に覆われて、俯いた夔(中国の伝説上の怪獣)のように見えます。こうした荘重で古風な作風は商代晩期の典型です。鋳造の痕を見ると、高台の内部と器の底部が接する部分に6本の筋があり、接合部が補強されています。圈足には三つの四角い穴が開いており、ちょうど範線(青銅器を鋳造する際、銅液が貯留してできた痕跡)と相応する位置にあります。盤は青銅時代の重要な水器で、特にこの器は盤面に、細密で美しい龍文の装飾があることから、身分の高い貴族が使用した礼器であると考えられます。

西周晚期 人足獸鋬匜
08 西周晚期 人足獸鋬匜

3F|展示室 305|古代青銅器の輝き―院蔵銅器精華展

器の幅が広く、一方の端から水を注ぎます。もう一方の端には獣の形の取手があり、握るのに便利です。口縁の下には変形した獣紋を組み合わせた鉤曲紋が、腹部には瓦紋がそれぞれあります。四本の足は人の形をしており、いずれも立って腕を組み、頭頂部で器の底を支えています。服装からみて、これらは異民族の労働者だと思われます。取手の造形は二匹の巨大な獣で、前足を口縁に掛けて器の中の水を飲んでいます。四本の足が器にくっついている姿は自然で生き生きとしています。緩やかなカーブを描き、幅の広い口のラインは優美で精工です。作者の工夫とイメージが見事に表現された青銅製の水入れと言えるでしょう。

戦国中期 嵌綠松石金属絲犠尊
09 戦国中期 嵌綠松石金属絲犠尊

3F|展示室 305|古代青銅器の輝き―院蔵銅器精華展

動物が立っている姿がモチーフです。耳がぴんと立ち、丸い目と四本の足を持ち、尾を垂らしています。写実的な風格は、動物の姿と皮膚の質感をしっかりと表しています。戦国時代に作られた酒器は、動物の口を注ぎ口、背中に口を開け、蝶番(ちょうつがい)の付いた蓋を取り付けています。器の表面は黒褐色で、一部には青錆も見えます。体全体に銀糸を埋め込んだ斜角雲紋と、美しいトルコ石、金糸と銀糸の文様が施されています。顔には丸い金をはめ込んで眼球とし、鼻や眉、額にはトルコ石の装飾があります。首には現代のネックレスに当たる金の飾りが一周し、背中の蓋には蟠龍型の金糸、銀糸による装飾が見られます。

漢 連枝燈
10 漢 連枝鐙

3F|展示室 307|古代青銅器の輝き―院蔵銅器精華展

三つの灯盞(とうさん。油を入れて火を灯す小皿)で構成されています。一番上の灯盞は直立した柱の最も高い場所に設置されています。底部には蓮(ハス)の花びらの文様があります。柱の上方には一匹のセミ、その下に一匹のサルがつかまっています。サルの下には巻枝が左右に伸びており、枝の先端に灯盞が一つずつ載っています。左右に伸びた枝のやや下方で、一匹ずつサルが枝を登ろうとしています。
柱の台座は円形で、表面には透かし彫りの蟠螭紋(はんちもん)の装飾が見られます。柱、枝の上の小動物は実物そっくりです。柱につかまっているサルとセミは向きを変えたり、上下に位置を変えたりできます。また枝の先にある灯盞は、柱から取り外すことができます。これらは柱の中間の鞘に差し込んで組み立てられています。

清 雍正 玻璃胎画琺瑯竹節式鼻煙壺
11 清 雍正 玻璃胎画琺瑯竹節式鼻煙壺

* 暫時未出展

清の雍正帝の時代の琺瑯は、康熙帝の時代の製造技術を受け継ぎ、大きく発展しました。その主な特色は開光(枠にはめた形の装飾)方式の装飾、伝統的な花鳥画の題材、黒色錦地の色調、吉祥物をかたどった款識の枠です。この器の胎は乳白色、半透明の玻璃胎で、形状は竹のように節があり、淡い黄色の地に緑の竹枝と生きているような黒いクモが描かれています。まさに文人画の風格に満ちた清雅なテーマです。三つに分かれた竹の皮を模した表面には、斑竹のように涙の痕のような斑点がリアルに描かれています。銅胎画琺瑯の蓋には二匹の蝶が描かれており、蓋の内側には細長い匙が付いています。相対したカラフルな蝶は黒地の上でいっそうあでやかに、そして躍動的に描かれています。蓋の縁には金色のラインがあり、華やかさを添えています。底部には吉祥図案の一つである霊芝をかたどった枠があり、枠の中に、白地に朱色で「雍正年製」の四文字が楷書で横書きされています。このことから、この鼻煙壺は雍正帝の時代のさまざまな特色を備えており、非常に貴重な品であることが証明されています。雍正10年(1732)に造弁処活計档が記載したガラス工場の作品のリストに「涅白玻璃画琺瑯竹瓶」とあり、この鼻煙壺がそれかもしれません。

清 康熙 銅胎画琺瑯嵌蒔絵漆片花卉鼻煙壺
12 清 康熙 銅胎画琺瑯嵌蒔絵漆片花卉鼻煙壺

* 暫時未出展

小さな鼻煙壺ですが、アジアおよび西洋の装飾の風格が見られます。たとえば、中央に施された金漆梅花紋には当時のヨーロッパで重宝された日本の蒔絵の図案が取り入れられています。また白地に描かれた梅の花と蝶は中国伝統の装飾で、文人の心意気と長寿の象徴です。

2F動線圖

新石器時代 大汶口文化 白陶鬹
13 新石器時代 大汶口文化 白陶鬹

2F|展示室 201|土の百変化―院蔵陶磁コレクション

陶器は古代文明における重要な産物です。古代の優れた王は陶器の製作を重視したといわれ言われており、これは民間の重要な技能を利用したスタイルです。実際、新石器時代には各地で製陶が行われていました。このうち大汶口文化の白陶は、大量の酸化アルミニウムを含む土を焼いた陶器です。現地の人々は自分たちの祖先は「鳥」であることを信じており、陶芸家は土をこねて、このように首を上げて鳴く鳥を題材にした器を作りました。この器は美酒を入れる容器として用いられました。

唐 三彩馬球仕女俑
14 唐 三彩馬球仕女俑

2F|展示室 201|土の百変化―院蔵陶磁コレクション

馬に乗った女性の像です。女性の髪型は二つの髻(たぶさ)が高く結い上げられ、黄緑色の、襟が開き袖がすぼまった丈の長い服、長ズボン、短靴を着用し、カラフルな鞍を置いた馬にまたがっています。馬はよく肥え、四本の足で長方形の板の上にしっかりと立ったその姿は、今にも動き出そうとしているようです。女性は体をやや右に曲げ、頭を前に少し傾けています。左手は馬の首の近くで手綱を握り、右手は肘を曲げてマレット(スティック)を握ったポーズを示しています。この作品は灰黄陶胎で、白い陶衣(護胎釉)をかけています。装飾には低温の三彩釉をかけて黄、緑、白、褐色がきれいに分かれて鮮やかな色彩に仕上げて、女性の表情やしぐさを巧みに表しています。唐の人々は、葬儀を壮麗に営むことを重視していました。当時の貴族や高官達は「競って壮麗な葬儀を行い、副葬品として作られた人や動物の彫刻は、生きているようで、通りかかった人に自慢した」と言われています。三彩の鉛釉は色彩や光沢が華麗なことから、葬儀隊が街頭をパレードする際に最適で、当時は非常に多く用いられました。このため、盛唐(712-765)当時の墓からは死体と一緒に埋められた三彩の人形が大量に見つかっています。唐代の女性は健康を「美」ととらえていました。女性は好んで襟が開き、袖がすぼまった「胡服」を着用し、柔軟な靴を履きました。こうした服装は軽やかで、馬上で動きやすいのが特長です。波斯(ペルシア。現在のイラン)で始まり、発達し、中国に伝わったポロ(馬球)は、唐代の上流社会の人々に歓迎されました。二つのチームに分かれて馬に乗り、スティックで球を打って得点を競い合う様子は、盛唐の墓に作られた壁画や鏡に施された文様に描かれています。また当時の墓からは、副葬品として埋められた各種の彩色陶器や、ポロを題材にした三彩の人形が数多く出土しています。

唐 灰陶加彩仕女俑
15 唐 灰陶加彩仕女俑

2F|展示室 201|土の百変化―院蔵陶磁コレクション

唐の時代では荘重な葬礼儀式が強調され、通常は豊富な品を副葬品に充てていました。これは死者が来世でも衣食に困らない暮らしが送れるようにとの願いと、死者が残した財宝がいかに潤沢であるかを人々に知らしめるのが狙いでした。このため、当時の副葬品には常に、陶土で作った人形が大量に見られました。この女俑はその一つです。
この女性はふくよかで、長細い眉と両目、赤い小さな口、顔はふっくらとし、落ち着いた表情をしています。まさに唐代の女性が求めた典型的な体と顔です。女性はゆったりとした長袍(チャンパオ)を着て、右手を胸の前まで挙げ、左手を垂らしています。先の尖った小さな靴が長袍の裾からはみ出ています。あまり細かいことにこだわらない様子から、おおらかで自信に満ち、淑やかな姿が表れています。髪型は、櫛の通った髻(たぶさ)がふわっと盛り上がっています。顔の左右を頭髪が覆うこの髪型は唐代晩期に流行したものです。この作品は唐代の芸術の写実的な風格を表し、当時の女性の気ままな生活ぶりを我々に具体的に示しています。

北宋 定窯 白瓷嬰兒枕
16 北宋 定窯 白瓷嬰兒枕

2F|展示室 205|土の百変化―院蔵陶磁コレクション

この嬰児の形をした白磁の枕は、嬰児がうつ伏せに横たわり、顔は横向けにして寝台に横たわっています。嬰児の背中の部分は、ちょうど頭を載せる所で、デザインは一種独特です。同時に、この白磁の枕は定窯の優れた成形と装飾技術に加え、神形も兼備しており、可愛らしい仕草の中に富貴な息遣いが感じられます。定窯は宋の時代、北方位置した名窯で、窯場の跡地は現在の河北省曲陽県を中心にあり、この地が、その昔、名が定州であったことから定窯と呼ばれました。当作品は白磁が中心で、優れた成型工芸に加え、釉質もきめが細かくツヤもあります。釉薬の色は白色に僅か黄色味を帯びており、装飾技法も、浅く彫ったり深く彫ったりしており、更に押印紋などもあります。嬰児枕の釉色は白っぽくてまろやかです。頭部と体をそれぞれ成形した後、接合し、次いで顔の彫刻が施されました。特別なことは、これを持ち上げると、枕の中に泥の塊が入っていて、動かしてみると、内壁に塊が当たってカラカラと音がします。これに似た嬰児枕は全世界に僅か3点しかありませんが、本件の釉薬の色の美しさや装飾の精緻さは世界最高です。枕の底には清の乾隆帝の御題が一首刻まれており、流伝に秩序があるため、国宝と称されており、正に「名誉は自ずとついてくる」と言うことができます。

北宋 汝窯 青磁蓮花式温碗
17 北宋 汝窯 青磁蓮花式温碗

2F|展示室 205|土の百変化―院蔵陶磁コレクション

十枚の花びらを模して成形されたこの碗は弧形で、器壁が深く作られています。花びらを模した口は全体に均整の取れた波形を呈しています。素地は薄めで、「満釉支焼」(釘などで高台を支えて焼き上げる方法)で焼成されました。全体に淡い青色の釉薬がかけられています。釉薬には潤いがあり、一部に濃い青が混じり、局部には微かに薄紅色の光沢が見られます。器の内外には茶色の貫入(釉薬の表面に現れたひび模様)がっしり入っています。底部は円形で、やや高めの高台はわずかに外へ開いています。底面は縁に沿うように五つの支釘の痕が並び、その痕には薄茶色の胎が露出しています。
河南省宝豊県の清涼寺汝官窯遺跡から、この碗と類似した標本が出土しています。このことから、当時すでに「墊焼」「満釉支焼」の二つの方法が存在していたことが分かります。温碗、注壺は宋代の人々が日常的に使用していた一組の酒器です。河北省宣化地方で発見された遼代の墓に施された壁画と、国立故宮博物院に収蔵されている宋の徽宗皇帝が描いた「文会図」では、この種の酒器の使用状況が具体的に描かれています。汝窯だけでなく中国の南方、北方の官窯や韓国の高麗青磁でも、花びらをかたどった口を持つ温碗が作られていました。中国で作られた碗が比較的深めなのに対し、高麗青磁の作品には酒を入れる器に、口が花びらの形をした浅めの碗を組み合わせていた例が見られます。このほか、南宋の窖蔵(こうぞう。穴倉)から銀器が出土しており、ここから模倣の対象となった原型にまでさかのぼることができます。また金器、銀器の模造品が異なった素材で作られていた当時の流行についてもうかがい知ることができます。

明 宣德 紅釉刻花蓮瓣紋滷壺
18 明 宣德 紅釉刻花蓮瓣紋滷壺

2F|展示室 205|土の百変化―院蔵陶磁コレクション

ゆるく曲がった短い注ぎ口、短い首、なで肩、丸く膨らんだ腹部、平らな底、浅い高台、弓状の把手、蓋が付いています。壺の表面には蓮の花びらが四層にわたり、浅く刻まれています。壺の外壁および蓋には紅釉がかけられ、内側および底部には白釉がかけられています。胎骨は均等に厚く、釉の色は鮮やかな紅色です。白釉はやや青みがかり、口、高台、注ぎ口、突起部分には白い筋が露出しています。高台は胎が露呈し、白くなっています。胎釉は淡い橙色で、鉄質の斑点が見られます。底部の裏には二重の円の中に「大明宣徳年製」の楷書の六文字が、二行に書かれています。

明 宣德 霽青刻花蓮弁紋滷壺
19 明 宣德 霽青刻花蓮弁紋滷壺

2F|展示室 205|土の百変化―院蔵陶磁コレクション

ゆるく曲がった短い注ぎ口、短い首、なで肩、丸く膨らんだ腹部、平らな底、浅い高台、弓状の取手、蓋が付いています。壺の表面には蓮の花びらが四層にわたり、浅く刻まれています。器には霽青釉がかけられており、濃艶な青色を呈しています。濃い青にはやや紫がかっており、白釉にも青色がにじみ出ています。器の口、突起部分には白い筋が露出しています。高台は胎が露呈し、白くなっています。胎釉は浅黄色で細かい斑点が見られます。底部の裏には二重の円の中に「大明宣徳年製」の楷書の六文字が、二行に書かれています。宣徳年間の祭紅釉、霽青滷壺はきわめて貴重な品で、清朝の内務府に収蔵され、乾隆帝から非常に愛好されました。イタリア人で清の宮廷画家となった郎世寧(ジュゼッペ・カスティリオーネ)が描いた「弘暦観画図」には、さまざまな貴重品が机の上に置かれ、そばに乾隆帝が座っています。このことから、青と赤の一対の壺が乾隆帝から大事に扱われていたことがうかがえます。

明 成化 闘彩鶏缸杯
20 明 成化 闘彩鶏缸杯

2F|展示室 205|土の百変化―院蔵陶磁コレクション

明代晩期の収集家が磁器を鑑賞する際、最も重んじたのが宣徳年間(1426~1435)に製作された「青花」(染付を施した磁器)、次いで成化年間(1465~1487)に景徳鎮(現在の江西省北東部)の官窯(宮廷で使用する陶磁器を製作した官営の窯)の「五彩」でした。当時の人にとって五彩とは、この種の闘彩磁器を指しました。故宮博物院に収蔵されている成化年間製の闘彩磁器のうち、杯に最も多く装飾用の文様が施されました。たとえばブドウの図案の文様を施した葡萄紋杯、遊ぶ子供の図柄を施した嬰戲杯、高潔な人物の姿を描いた高士杯、足の長い杯に花鳥紋を施した花鳥紋高足杯、さらに、広くその名が知られている鶏缸杯などがあります。
清の散文家、程哲の著作『蓉槎蠡説』(ようされいせつ)では、最も注目される器として闘彩鶏缸杯を取り上げており、明の神宗(万歴帝。在位1572~1620)の時代にはすでに「一対で十万銭」の値が付いていたようです。この鶏缸杯は口が広く、胴と腰は短く、底は平らで浅い高台が付いています。器の外側には雄鶏、雌鶏と、それぞれのそばに三羽の雛がいる情景が二面に描かれ、月季花(コウシンバラ)とランの花で仕切られています。また口縁に二本、腰に一本の青い線が記されています。見込み(器の内側)は白く、何の装飾もありません。高台裏には楷書による「大明成化年製」の款識が染め付られています。景徳鎮珠山の官窯の遺跡から、コバルトブルーの顔料のみで染め付けた鶏缸杯の半製品が見つかりました。これと現存する鶏缸杯とを比べると、闘彩磁器の製作工程で、一度焼成した後、青い線の上から各種の釉上彩で絵付けを行い、再び窯に入れて焼き上げたと推測できます。闘彩鶏缸杯の歴史について清朝の『活計档』の記録によると、少なくとも清の雍正年間(1723~1735)まで遡ることができます。現存する鶏缸杯は、外側に華麗な装飾を施した錦匣(乾隆帝が整理し、保管するよう命じた蓋付きの箱)に収められています。

清 十八世紀 太平有象磁尊
21 清 十八世紀 太平有象磁尊

2F|展示室 205|土の百変化―院蔵陶磁コレクション

宝瓶を背負った象形の磁器です。大きな象が4本の足で直立し、振り返っています。両目を見開き、鼻を巻き上げています。鼻の両側から長い牙が突き出し、耳は垂れ、尾は後ろ足を叩いています。背中に元宝形の鞍を置き、その上に出戟磁尊を載せています。垂れ下がっている分厚く長い緞子は如意、吉罄、コウモリ、波涛、瓔珞、連珠紋などの文様で彩られています。象の身体には灰色がかった茶色の釉がかけられ、部分的に濃い色で毛が描かれています。4本の足の爪の部分は釉がかけられておらず、胎が露出しています。出戟磁尊は青緑色の釉の地に、赤と緑で番蓮紋が描かれ、口縁に金が塗られています。この作品に落款はありませんが、形や文様、装飾から、乾隆時代に作られた可能性があります。鞍の緞子に描かれた文様は長寿や招福、開運の象徴です。象と宝瓶は「太平有象」(天下泰平)を意味しており、官様の造形に属します。磁胎のほか銅胎掐絲琺瑯で作られたものもあり、対で陳列されています。

清 乾隆 霽青描金游魚轉心瓶
22 清 乾隆 霽青描金游魚轉心瓶

2F|展示室 205|土の百変化―院蔵陶磁コレクション

この転心瓶は、内びんと外びんの構造をはじめ、縁が巻いてキリリとした口、長い首、豊かな肩の膨らみ、引き締まった胴、低い圈足があり、肩には4つの丸い輪の形をした耳飾りが付いています。胴の部分は内外2層になっており、内瓶は淡い青綠釉を用い、まるで湖のような背景が表現されており、水草や落花、金魚などが粉彩で描かれています。外びんの底部にも淡緑色の釉が施され、青花を用い、篆書体で書かれた「大清乾隆年製」の款識があります。外びんの腹部には四か所の鏤空彫りの開光(枠にはめた形の装飾)があり、参観される方が瓶の首を握って回すと、外びんの開光を通して、内びんに描かれた水草や金魚の文様が、目の前で走馬灯の様に様にゆったりと、子供が嬉しそうに遊び戯れる様に回転します。故に「轉心瓶」と名付けられました。

1F動線圖

清 康熙 画琺瑯鳳紋盤
23 清 康熙 画琺瑯鳳紋盤

1F|展示室 106|集瓊藻—故宮博物院所蔵珍玩精華展

銅で作った胎と、黄色地に16枚の花びらを施した縁を持つ鳳紋盤です。白い縁には藍色の巻草文を描き、低い壁の内、外には藍色の地色に様々な色彩の草葉紋、黄色地に盤璃紋が描かれています。盤の中央には紅色の花があり、波状の花びらが放射状に伸びています。花びらには羽を広げて飛び立とうとする八羽の瑞鳳が描かれ、時計回りに躍動しています。盤の中心、花びらは浅い浮彫りで、立体感を出しています。盤の底は表面と呼応して、白地に八枚の葉が描かれています。しっかりした縁取りに、葉の形、葉脈が描かれ、さらに黄色、藍色の釉がかけられています。底の中央には白地に「康熙御製」の赤い文字が二行、楷書で書かれています。康熙年間は画琺瑯の成熟期に当たり、明るい黄色を下地にした作品が特色の一つであり、域外ではあまり見かけません。この作品の形状、装飾の斬新なデザイン、豊富な色彩、釉薬による光沢が作品を優美なものにしています。

清 珊瑚魁星点斗盆景
24 清 珊瑚魁星点斗盆景

1F|展示室 106|集瓊藻—故宮博物院所蔵珍玩精華展

* 暫時未出展

植木鉢に立っているのは植物ではなく、ユニークな造形の塑像です。これは清朝の宮廷内でたいへんに珍重された、縁起の良い盆景です。朱色のサンゴを精巧に彫刻して出来上がったこの主役は北斗七星を右手で高く掲げた魁星です。伝説によると、魁星はもともと非常に学問好きな読書家でしたが、醜い容貌が災いして科挙(官吏の採用試験)を何度受けても合格できませんでした。ついに彼は自棄になって入水自殺を試みましたが、水中の鰲(こう)魚(伝説上の大きな海亀)に救われました。やがて魁星の体は北斗七星の第一星に変わり、科挙の合格や仕官の道の運をつかさどるようになり、科挙の受験生などから信奉されました。この作品は、全身が朱色で頭に角を生やした魁星です。その太い眉、飛び出た眼球、尖った牙をむき出しにした恐ろしい形相はいかにもリアルに表現されています。体には飾り紐がまとわりつき、手には北斗七星と梅の枝を持ち、片足で龍頭魚、波間に現れた翠玉鰲魚の上に立っています。梅は「花の先駆け」を、鰲魚の上に立つのは「鰲魚独占」(科挙に首席で合格すること)を表しています。もう一方の足は後ろに向かって蹴り上げており、北斗七星の主星と相対しています。この「魁星踢斗」(かいせいてきと)の姿態は、科挙の成績がトップになる、科挙の最終試験に通って合格者名簿に名前が載る、などの象徴です。このほか、魁星の周囲にも吉祥の象徴が見られます。植木鉢の四面には五匹の蝙蝠(コウモリ)が「壽」の字を取り囲んでいます。この図案は「福寿」(中国語で蝙蝠の蝠と幸福の福の発音が同じ)と「五福臨門」(長寿、財力が豊か、無病息災、徳を好む、天命を全うする、の五つの幸福が訪れる)の象徴です。植木鉢の中にある太湖石の上の霊芝は吉兆を表し、魁星が持つ梅の枝は、梅が他の花に先駆けて春を迎える縁起の良い花であることを示しています。全体に生き生きと表現された彫刻と精巧なはめ込みの技巧を用い、金、銀および各種の貴重な宝石を組み合わせて吉祥を表現した華麗な作品です。その出来栄えには、ただ驚嘆するばかりです。

 

最終更新日:2024-03-29
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