
はるか遠い太古未開の時代、人間は苦労しつつ大自然と戦い、風・雨・水・火の過酷な状況を受けとめ、また四方に光を放つ太陽が宇宙の全ての生気を掌握していることを体得しました。なぜなら、太陽の運行は昼夜を分かち、寒暑の変化をもたらし、更に植物の栄枯をはじめ人類の生存をも定めたからです。旺盛で衰えることのない生命を維持するのは、宇宙の次から次へと生じて止まない「元気」或いは「精気」と称される物です。このため、原始人は天・地・日・月・山・川・草・木等の万物萬物や風・雨・雷・電気等の現象の全てに霊魂が宿り、全てが心霊であると信じたのです。
先人は手あたりしだいに手にした竹や石、骨で道具を作っていましたが、数は少ないものの、非常に強靭で朽ちることなく、しっとりとしてつやのある美しい石を発見しました。それを用いて道具を作ると、まるで「仙人」のように、沢山の難関を救ってくれたのです。美しい石が放つ輝きは、大地に活気を蘇らせる春を思わせます。このような美しい石は、或いは万物を育てる自然の力を含んだ活気を促す「精気」なのかもしれません。そして人々はその石に、玉と言う美しい名をつけたのです。
先人は美玉が隠し持つ「精気」は人と神を媒介でき、宇宙の運行の模式になぞらえたり、氏族の祖先の姿形に彫ると、反応する法力がより強くなると信じていました。歳月は止まることなく進み、新石器時代の中、晚期、即ち紀元前6000~2000年(今から8000~4000年前)には、散居していた部落は村落の連盟に発展し、徐々に国の形に向かって発展していきました。社会が細分化し、階級が形成されると、聡明で神通力を持ったみこたちが人々を管理するようになりました。王者はみこたちの長であり、彼らは神秘的な力をもつ美玉を通して、神明の知恵を吸い取り、天地と交信したのです。
玉石を分けない~玉石を分ける
道具から礼器へ

山東龍山文化晩期 玉圭 長さ24.6cm 幅7cm 厚さ1.2cm |
「介」の字形を戴いた宝冠の抽象的神祖 面紋 |
「介」字形を戴いた宝冠 口から牙を剥き出している神祖面紋 |
天は円く大地は四角~円璧と方琮

良渚文化 玉璧 径13.44cm |
玉璧上に「鳥立祭壇」の符号が刻まれている |

良渚文化晩期 玉琮 高さ47.2cm |
玉琮四面直槽には暗号のような符号が彫られている。 |
「万物有霊」~「龍鳳文化」の萌芽