
中国では、七、八千年にもわたる玉器の製作と使用の歴史がありますが、十八世紀以前、先人が使用していた玉の材料は閃玉(軟玉、ネフライト)を主としていました。よく見かけられる色は、白、青白、灰、黒、黄、緑で、若有大量三価鉄が大量に混じっている場合は、赤褐色に変色します。
北部ミャンマー埋もれている輝玉(ジェダイト)は、すでに500年近くの採掘の歴史を有していますが、300年前の18世紀、この地は清に帰属し、雲南省の管轄に置かれていた頃生産されていた輝玉が大量に中国に輸入されました。その目を奪うほどの深紅とエメラルド色がカワセミの羽毛の色合いに良く似ていたため、「翡翠玉」と言われました。
閃玉と輝玉は同属の鉱物ではありませんが、外観は良く似ています。閃玉と輝玉はいずれも美しい綠色ですが、色は鉄とクロムの元素に分かれています。そのため閃玉は草綠から深翠画多く、輝玉は明るいエメラルド色をしていり、一般には、前者は「碧玉」、後者は「翠玉」と称されています。しかし、後者に微量の二価鉄が含まれている場合は、元の深緑はやや暗めの黄緑を呈します。良質の綠色の閃玉も常に色鮮やかな質感の輝きに溢れており、これが、時々二者が混同される理由なのです。
中国の核心の域内には質の良い宝石がないため、元や明以前は閃玉を除いて、半宝石類を装飾品の材料にしており、石英家族中の玉髄(カルセドニー)、メノウ(瑪瑙 アゲート)、などは、最も早い時期に選ばれた半宝石類です。展示品の中には新石器時代~漢代の玉髓やメノウ製品が少なからず見られます。石英と同属で、粒が粗くて、よく見られるのが水晶(ロッククリスタル 白水晶)です。水晶は各種イオンの存在や輻射などの要素により、様々な色彩を呈しています。清朝の宮廷では透明且つカラーを帯び、内部のひび割れが見える宝石、或いは半宝石を「碧璽」と称していました。この度は、呼び間違えられているものと本物の碧璽(トルマリン)を並べて展示し、違いを観察して頂きます。
考古学の資料は、漢の時代に青金石(ラズライト)と琥珀の製品の存在を証明しています。推測によると、これらの鉱石は現在のアフガニスタンとミャンマーから来ていて、中世紀以降、バルト海の琥珀も中国に入れられていたそうです。清朝宮殿の宝石の種類は非常に多く、その多くはミャンマーやタイなど東南アジアの地から来ています。この度展示される赤宝石には鑑定を経た、紅宝石(ルビー)、紅尖晶石(スピネル)、紅碧璽(シベライト)、紅玉髓(カルセトニ)等がありますが、今回は展示されず、収蔵されているものの中には紅柘榴石(ざくろ石 ガーネット)などもあります。清の宮廷に於ける宝石の象嵌処理は、インドやトルコの伝統的方法と違うため、二点の異国の文物を特選し、比較して頂きます。

清代 翠玉嵌珠宝鈿花 長さ8.7cm 幅8.0cm 厚さ0.5 cm 玉石に属する石には尖晶石、碧璽、藍宝石がある 曽宝蓀女史、曽約農氏寄贈 |
ピンクの碧璽 | 紅尖晶石 |