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其の命、これ新にす-西周の礼器

 周王朝の始祖文王が商を分割し、武王が殷の紂を討ち、殷を滅ぼしました。周公は、周人が宗法制度と諸侯を分封する制度を樹立し、新しい王朝を築きました。《詩経》に「周雖舊邦,其命維新」(周は旧邦なりと雖も其の命、維(こ)れ新たなり)とあり、銅器上にも「維新」の気概が現れています。

 西周早期(武、成、康、昭四王)の銅器の的造型と文様はその多くが殷晩期のなごりをとどめていますが、次第に変化を遂げ、周文化の特色の形や文様(例えば方座簋)が増えていきました。礼制も徐々に成熟し、玉を用いて紀錄した金文も完璧になり、ここからもその変化の始終を伺うことが出来ます。

 西周の中期(穆、共、懿、孝、夷の五王)になると、銅器の風格も一転し、新たな器類、造型、文飾が次々に現れました。爵、斝、觚等の酒器にかわって簋、簠、盨、鋪等の食器が増え、あたかも「食を重んじる」周の治国新使命を象徴しているかのようです。新しいタイプの尾を大きく巻いた鳳鳥文と瓦文などの華やかな文様も登場し、銘文も長くなり、その格式と書風も早期の物とは大いに異なっています。

 西周晚期(厲、共和、宣、幽)には、銅器上に新たな文様が次々と現れ、獣面文は消失し、新しくうねる波、二重の環、垂鱗の文様などが形成されました。各諸侯国の器物の製作は増え、徐々に東周地域の特色の先駆となりました。殊に銘文記載が豊富であったことは、当時、すでに文字が良く使われていたことを示しています。中国の伝統的な経典中、最も重要な易、書、詩、礼、楽、春秋の六経は、こうした濃厚な文化の背景の下で、春秋戦国時期的洗練を経て、少しずつ開花した結果なのです。

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  • 西周晚期 頌壷

    • 中銅1888
    • 通高63cm 口径21.2 x 16.9cm
  • 西周早期 史獣鼎

    • 中銅78
    • 通高20.3cm 口径17.5cm
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