覇と雄-春秋戦国の礼楽器と兵器雑器
東周以降、周は衰え、礼と楽も廃れていきました。政治面では群雄割拠の局面を迎え、強きが弱きを抑圧し、多勢が寡勢を虐げ、礼制においては分を超えた厚葬、階級観念の乱れが見られ、生活面では貴族が贅沢を競い、新興器物が続々と現れました。
「礼楽征伐は天子より出ず」が次第に「諸侯より出ず」となり、更には「大夫より出ず」と変化すると同時に、地方色の濃い礼、楽、車馬、兵器、璽印等が勢いよく発展しました。
こうした物質文明の背後に於いて、百家争鳴と中国における儒教や道教の思想哲学が確立し、絢爛たる精神文明はこうした多様な器物と映え合っていたのです。
こうした知識の普及が平民社会意識と写実的な題材の台頭を更に促すことになりました。春秋五覇が活躍し、戦国七雄が激しい争いを展開する激動の時代と不安な政局の中で、貴族の華やかさと平民の質朴さが「戦と雄」の時空と人文を共に描き出しています。